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第1回東京都北区ふるさと駅弁コンテスト実行委員長 冨田常子
私は、自分の・・・ほんの・・・・ひと言から、『第1回東京都北区ふるさと駅弁コンテスト』の実行委員長をすることになりました。7月に実行委員会を立ち上げてから、1月15日の第2次審査が終わるまでの半年、様々な出会いと思いがけない出来事がありました
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冊子「街よ!元気になれ」は、ボランティアの編集委員が、まちづくりの専門家や行政職員等からアドバイスを受けながら、年2回発行しています。編集会議は毎月1回行われ、企画・方針・内容といったことを話し合い、作業を進めていきます。今年度(本誌)のテーマは『駅』。区内にある20個の『駅』を切り口に、北区の魅力を引き出そうとするのがねらいです。編集委員は、テーマに合わせて各自が書きたいものを決めていくのですが、私は「駅弁を作って、それを記事にしたい」と編集会議で提案しました。

ところで、みなさんは、北区の街や駅にどんなイメージを持っていらっしゃいますか?
浮世絵にも描かれている桜の名所、飛鳥山。
荒川の水辺でザリガニやハゼ釣りをしたこと。赤水門。
彫金、版画といった伝統工芸の文化。
規模は小さくても独創的な事業をしている町工場やにぎやかで活気ある商店街。
慣れ親しんだ近くの公園や路地を思い浮かべる方もいらっしゃることでしょう。
そういったイメージを「駅弁」にしてみたら、どんな「駅弁」になるのでしょうか?
私の提案は、それならいっそコンテストをしてアイデアを募集してはどうか、ということになりました。実行委員会を立ち上げ、北区ニュースで募集をするというのです。
「駅弁」を作ることを通じて、北区の街や駅の魅力を再発見・再認識するきっかけになれば・・・というのが、『第1回東京都北区ふるさと駅弁コンテスト』の目的になりました。

コンテストの名称を『駅弁』じゃなくて、『・・・・ふるさと駅弁』にしたのには、いきさつがあります。
実行委員会を立ち上げ、まず最初の議題が、このコンテストの名前をどうするか?というものでした。そのとき、ある実行委員が、自分が持っている北区への思いを話し始めました。「私は北区生まれ北区育ちなので、帰郷するという経験がなく、『私にはふるさとがない』と若いときは残念に思っていた。でも、今はこの北区がふるさとだと思う。」
それを聞いた他の実行委員も、北区にまつわる経験や気持ちを話しました。北区に住んでいる人たちが、自分や家族が住んでいる北区を『ふるさと』って思えたら、もっと楽しく暮らせるんじゃないか。この北区こそ自分の『ふるさと』と言えるようになりたい。
『・・・・ふるさと駅弁』というコンテストの名称には、10名の実行委員の思いが込められているのです。

作品募集のための北ケーブルの撮影も終わって、いよいよコンテストが動き始めるというころ、ひとつのニュースが飛び込んで来ました。コンテストの大賞作品を商品化したいというものです。赤羽駅の飯浜駅長さんから頂いたこの話に、実行委員会はどよめき沸き立ちました。駅長さんがおっしゃるには「乗り換えや通過するだけの駅ではなく、地域と密着した駅を考えている。赤羽駅は開業120週年を迎えるので、イベントを開きたい。そのときに限定販売したい」というものでした。実際に駅弁を作るのは、「NRE大増」というちまた巷で話題の空弁も作っている大きな会社とのこと、話は怖いくらいにどんどん進んでいきます。「NRE大増」の白田社長さんからは、「挑戦しがいのある駅弁を選んで欲しい」というコメントまで頂戴し、あとは応募作品を待つばかりとなりました。
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赤羽駅で大賞作品を販売
(第二回えきべんコンテスト時) |

販売前から多くの方が並んでくださった。 |

あちこちの新聞に掲載され、北区やJR東日本、東京商工会議所、東京都北区商店街連合会が協賛してくださるなど、コンテストは広がっていきましたが、実は、募集が開始されて1ヶ月が過ぎても、応募作品は1件だけでした。「おもしろそうだね」と言って、多くの団体や個人が賛同・協力してくれるのは嬉しいことです。でも、応募作品が1件だけでは、期待に応えることはできません。実行委員は手分けしてポスターやチラシを配り、親戚や友人・知人に声をかけました。
締め切りまで1週間というときに、家政大学の学生さんからの応募がありました。審査委員長の中村先生が見るにみかねて学生さんに呼びかけてくれたのです。
ところが、締め切りの3日前になって、問い合わせの電話やFAXが来たり、郵便が届いたりと慌ただしい状況になりました。結果として104件もの作品が集まりました。

第1次審査は、応募作品の中から10作品を選ぶことになっています。1つ1つの作品に目を通していくうちに、私たち実行委員は、審査をするのはおこがましいと感じてきました。
どの応募作品も北区のイメージを見事に『駅弁』にしています。歴史や名所に因んだもの、幼いころの思い出を表現したもの・・・作者の思いが応募用紙にびっしりと書き込まれています。私たちは、ただただ感動するばかりで、審査どころではありませんでした。
審査委員長から「北区らしさ、食指性、創意工夫を重視しましょう」というアドバイス受け、なんとか作品を選ぶことができるようになったのですが、どうしても10作品まで絞りきることができません。けんけんがくがく喧々諤々の議論の末に、思い切って12作品にしよう、ということで決着しました。この12作品ということが、のち後の第2次審査の勝敗を分けることになろうとは、このときは思ってもいませんでした。

12月半ばの寒い日に、第1次審査を通過された応募者への説明会を行いました。これは第2次審査の会場となる料理室の下見も兼ねており、応募者の実力が充分に発揮できるよう、また審査が公正に行われるようにしたいという理由から開きました。
私たち実行委員は、あの素晴らしい『駅弁』を作った作者に会える!いうことで興奮気味でしたが、応募者の方々は終始冷静で、時には笑いあうほど和やかな様子でした。けれども、そこには熱いものがあったように思います。自分の作品に自信を持っていればこそ、落ち着いていられるのでしょう。
さあ、いよいよ第2次審査を迎えるばかりとなりました。どの作品が大賞になってもおかしくありません。1月15日には、その答えが出るのです。

第2次審査の様子は、同じく実行委員として苦楽を共にした安良岡さんにお任せします。
どうぞ、そちらをお読みください。
なお、この場をお借りして、一緒にコンテストを作ってくれた方々へ感謝を述べたいと思います。
まずは、審査委員長を始めとする審査員の方々へ。第2次審査は、午前11時から午後6時までという長時間にもかかわらずご参加くださり、その上、コンテストを盛り立ててくださいました。また、受付・設営・清掃・撮影など総勢18名の方が応援に来てくれました。皆さんのおかげで、コンテストは大成功しました。ありがとうございます。
最初から最後まで頑張ってくれた実行委員のみなさん、まちづくり公社のみなさん(直接の担当者は、残業続きで体調を崩し救急車に乗ってしまいました)ありがとうございました。
取材してくれたマスコミの方にも御礼申し上げます。新聞で見たからという応募者が多かったです。
そして、最後に応募してくださった93名の方々へ。素晴らしい作品をありがとうございました。
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調理風景
(第二回えきべんコンテスト時) |

受賞発表後、閉会式 |
第一回 ふるさと駅弁大賞 松本様からご感想をいただきました |
| とにかく、楽しかったです
新聞で募集の記事を見たとき、なぜか、これは是非
応募しなければと強く思いました。
今まで、コンテスト等、縁のない世界でしたが
図書館にかよい、北区の名所を訪ね、落語のテープを聴き
息子たち夫婦を巻き込みイメージを膨らませました。
アイデアを出し合い、試作を繰り返して、ぼんやりした物が
形に成っていく過程も、楽しかったです。
日常生活で、こんなイベントは中々経験できないのでまるで
家族で文化祭に参加したような気分で
「参加することに意義あり」の日々でした。
そして北区が、ますます好きになりました。
第一回 大賞受賞者 松本様より
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ふるさと駅弁大賞
桜(はな)に浮かれて子ぎつね弁当 |
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